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たなかゆきこ メール ホーム 返信
最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽(ろうばい)した。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は愚(おろか)、明日(あした)から始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕(ぼく)がいい下宿を周旋(しゅうせん)してやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。
2009/08/14(金) 13:45 No.9 編集 削除
山本英明 メール ホーム 返信
昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌(だいきら)いだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発(ふんぱつ)して長いのを書いてやった。その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
 手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気(ねむけ)がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た。
2009/08/14(金) 13:45 No.8 編集 削除
麻布(あざぶ)の聯隊(れんたい)より立派でない。大通りも見た。神楽坂(かぐらざか)を半分に狭くしたぐらいな道幅(みちはば)で町並(まちなみ)はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張(いば)ってる人間は可哀想(かわいそう)なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵(たいてい)は見尽(みつく)したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場に坐(すわ)っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。靴(くつ)を脱(ぬ)いで上がると、お座敷(ざしき)があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五畳(じょう)の表二階で大きな床(とこ)の間(ま)がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣(ゆかた)一枚になって座敷の真中(まんなか)へ大の字に寝てみた。いい心持ちである。
2009/08/14(金) 13:45 No.7 編集 削除
挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日(あさって)から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々(いまいま)しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿(とま)ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨(はくぼく)を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
 それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。
2009/08/14(金) 13:45 No.6 編集 削除
この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違(ちが)いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田(ほった)というのが居た。これは逞(たくま)しい毬栗坊主(いがぐりぼうず)で、叡山(えいざん)の悪僧(あくそう)と云うべき面構(つらがまえ)である。人が叮寧(ていねい)に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給(きたま)えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀(れいぎ)を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐(やまあらし)という渾名(あだな)をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅(かた)いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精(れいせい)で、――とのべつに弁じたのは愛嬌(あいきょう)のあるお爺(じい)さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。
2009/08/14(金) 13:45 No.5 編集 削除
やまもと メール ホーム 返信
当人の説明では赤は身体(からだ)に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂(あつ)らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴(はかま)も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀(こが)とか云う大変顔色の悪(わ)るい男が居た。大概顔の蒼(あお)い人は瘠(や)せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔(むかし)小学校へ行く時分、浅井(あさい)の民(たみ)さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓(ひゃくしょう)だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子(とうなす)ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。
2009/08/14(金) 13:44 No.4 編集 削除